白き蘭やがて匂へり見つつあれば
白き蘭 =そのまま白い蘭
やがて =現代のやがてと同じ意味だと理解しました。
匂へり =可能形の終止形?
見つつあれば =現代では「見つつ」は「見ながら」になると思うけど、「見続ける」と理解し、「あれば」はそれを「し続けていれば」にするための必要な文法だと推測しました。
白い蘭を見続けていたらやがて匂えた
というような意味だと思います。
まず、この解釈は正しいでしょうか?
この解釈が正しいとしても古文が苦手でどうしてこの意味になるのかはっきり分かりません。
白い蘭を見続けていたらやがて匂えて来た
の方が自然だと思いますが、「匂えて来た
」にすることは厳密に言うと間違いでしょうか?
だれでも蘭を見続けていたらやがて匂えて来るよ
的な意味にならないのは、文法によることですか?それとも俳句の特徴として主観的な立場から書いていることが前提だからでしょうか?