早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは諺に云ふ群盲の象を撫でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召は、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中の御器量がございました。 それでございますから、二条大宮の百鬼夜行に御遇ひになつても、格別御障りがなかつたのでございませう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/60_15129.html
I could find was entries on 二条大宮 or 百鬼夜行 but no hint as to how these two may be related. What was the author's intention in mentioning how a meeting of his (fictional?) お殿様 and 二条大宮の百鬼夜行 might resolve?
お殿様 vs. 融 is rather clear, by contrast:
又陸奥の塩竈の景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融の左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。