Recently I read though the article addressing the question (んだから vs んだ) where it explains the usage of のだから as:
1)話し手も聞き手も知っている事柄に用いられ、「聞き手(あなた)も知ってはいるが、その認識が十分でない」ことを知らせようとする話し手の強い気持ちが入る。
2)後件には、「そういうことだから、~たい、~はずだ、~ほうがいい、~てください」などの、話し手の判断や意志、願望、働きかけなどの表現が来ることが多い。
However, when the author explained the provided exercise,
A:同窓会の仕事頼まれちゃって。
B:大変なの?
A:うん。
B:でも、(a.引き受けたから b.引き受けたんだから)、しっかりやりなさいね。
she wrote such sentence
BはAが同窓会の仕事を頼まれたことを知り、その事実(事情)を踏まえて、頑張るように励ましているのですから、b「引き受けたんだから」が適切になります。
I thought this bold のですから is merely a formal version of んだから at once. But after deeper thinking, I found the sentence following のですから is not the writer's intent, wish, or request. Rather, it is an objective description. Thus, I draw the conclusion that the usage of のですから is different than listed above.
How should I use のですから if it is not as simply as a formal version of んだから?
(By the phrase formal version I mean the corresponding 丁寧語.)